サクッと行ける海外旅行についてつらつらと書いていきます

タイトルまんま。誰でも旅行に行けるんです、ということをちょっとだけ発信していきたいわけです。たまにテレビのことなど、非旅行のことも。

四川料理はすべからず辛いのか? いや、そんなことはないだろう。

 四川省というと、麻婆豆腐を筆頭とした四川料理を思い浮かべる人も多いはず。そんなわけで今回は、俺が本場四川の地で食した四川料理についてつらづらと書いていこうと思います。


 そもそも四川料理は、現地・四川省では「四川料理」と銘打たれる他、「天府飯店」(天府が四川を意味する)、「川菜」と記述されることはあまり知られていない。四川省のみならず、「天府飯店」「川菜」と看板に掲げられているお店も四川料理を扱うお店になるわけです。四川滞在記を振り返るに、「四川料理」「天府飯店」と掲げているお店は辛い傾向が強ったような気がする。

 

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 これは天府とも川菜とも四川とも看板を掲げていないとある四川の定食屋で食った料理だ。右のご飯&豚肉炒めは15元(約250円)、左の白菜と肉(?)の辛し佃煮みたいな一品が12元(約200円)。勘の良い方はなんとなく分かると思いますが、先に紹介したようにどこかこの料理、東南アジア感があるんですよね。そもそも1プレートにご飯と菜食を一緒に盛ること自体、中華料理として違和感があるし。

 

 で、この東南アジアチックな定食、死ぬほど辛かった。最初の10口くらいまでは、「やべぇ! 大当たりだよ! すげぇうめぇ! うひょお~~オーマイ コ~ンブ!」みたいに天にも昇る心地だったんですが、中盤に差し掛かるあたりから、舌が痺れてきて何を食べているのか分からなってきました。その原因となっている犯人は、山椒(花椒)と唐辛子であることは間違いないわけで。とかく、四川の地では山椒(花椒)&唐辛子が肝なんですね。BOOWYでいうところの氷室、布袋であり、THE BLUE HEARTSでいうところの甲本、真島なんです。この容量用法を間違うとえらいことになるというか、別料理(別バンド)になってしまうわけです。それくらい山椒(花椒)&唐辛子は四川料理に欠かせない核なのね。


 しかも、辛さがタイ料理やカレーのようなスパイシーな喉を焦がすような辛さではなく“舌を痺れさせる系”。まったく辛さのベクトルが違うため、水を飲んでどうこうなる感じじゃないんです。ホイミじゃなくてキアリクを唱えてほしい感じになります。さし加減さえ間違えなければ最高の風味と辛味をもたらしてくれるわけですが、そのさじ加減が難しいわけで、絶妙な塩梅で絡めてくれる系統が、(あくまで個人的経験による観測だけど)「川菜」と掲げているお店なんです。ですから、「四川料理辛くて食えねぇ!」ととん挫した人は、「川菜」と掲げてある、大通りに面しているお店ではなくできれば裏路地にあるような店に行くと意外と辛くないお店に当たるような気がしています。(どの店に行こうが、中国語で「辛さを抑えてね!」と言えばいいだけなんだけどね) 

 

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 なぜ四川料理が意外と多様性があるかというと、先に記述したように成都そのものがダイバーであるということ。そして、中華料理の重要な一片を司る客家料理という存在がキーになっている。中国は北京料理広東料理上海料理四川料理というように四大料理と分類されがちだけど、厳密に言えば山東料理広東料理(広州料理と潮州料理に分かれるとも)、蘇州料理、四川料理の4エリア料理となる。そもそも北京、上海だけ都市名なのが変といえば変だわな。


 で、この4エリアにはそれぞれ特徴があって、順に麦作地帯、米や野菜をはじめ食材が豊富な地帯、魚食地帯、香辛料地帯とざっくりと分けられる。そりゃ食文化が違って当たり前なわけですよ。収穫できるものが違うんだから。
 かつてとある有名な中華料理屋を取材した際に、中国人の料理長から「上海料理は、う~ん蘇州料理なら分かるんだけど、上海料理なんて呼ぶのがおかしいんだよね。だって東京料理って呼ぶ? 上海は今じゃ東京のように何でも揃っているから“食の都”みたいに言われるけど、食文化的には別にピンとこないよね」と教えてくれた。

 

さんざんな言われようだな、上海料理

 

 またこんなことも。

広東料理は“食は広州にあり”と謳われるほど中国の核となっている料理。広州は四川省雲南省に近く、東南アジアの料理のルーツも広東料理なんですよ。ナンプラーなど味付けは東南アジア風味になっているけど、空芯菜炒めなんかが東南アジアにあるのは、まさしく広東料理のルーツを汲むから。広東や四川は非常に近しいところにあるし、蘇州も(長江以南である)江南エリアだから味付けなどがお互いに交じりあう傾向があるわけ。雲南省を越えて東南アジアに伝播するくらいだからね。小麦が収穫できる地域にある北京料理山東料理)は餃子や北京ダックを筆頭に皮(小麦粉)で包む独自の文化があるから、4エリアの中でもとりわけオリジナル感が強いよね」


 で、ここでこの中原から山東周辺一帯の流れを汲んでいる料理・山東料理が非常に中華料理では重要になってくるわけね。そのキーワードとなるのが客家(料理)という存在。「中華料理は上海料理を外して客家料理を4つ目に数えてもいい」という人もいるくらい客家の存在は大きいわけですが、その話は次回。思いっきり四川料理から話がズレていることは、誰よりも俺が理解している。

 

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長州力がコメンテーターを務めるお昼の最凶番組『DO YOU サタデー』

旅行に出かけるのも好きなんですが、それ以上に好きなのがテレビ番組を見ることです。と言っても、かつてに比べると面白い番組は減る一方。なかなか人に「あの番組は一度見てほしい!」と声を大にして伝えることも少なくなってきました。

 

ところがこの4月からとんでもない番組が放送中なので、ここらで皆様にご報告しておこうと思います。

 

BSフジにて、土曜お昼の12時から1355分まで放送されている生放送の情報バラエティ『DO YOU? サタデー』という番組です。

 

MC水前寺清子

コメンテーター:長州力

コーナー進行:井上聡次長課長

中継レポーター:河本準一次長課長

ゲスト:週替わりで一人ゲストがコメンテーター的ポジションで配置される 

 

というラインナップで組まれたこの番組、キャスティングからすでにやばい雰囲気が漂っています。

 

BSで放送中、そして『日本中のアクティブシニアを応援します』というコンセプトを掲げていることからも分かるように、メインターゲット層はシニア層です。

 

https://www.youtube.com/watch?v=Z-XYixiWu2Q

 

どういうわけかYOUTUBEには公式チャンネルらしきものもあるわけですが、4月から放送しているにもかかわらず、いまだに再生回数が400に満たないという現実。「日本中のアクティブシニアを応援します」というスローガンとは裏腹に、シニア世代が一切YOUTUBEに興味がない(アクティブシニアになっていない)ことを、自らの身をもって証明するという“情報”を与えてくれる時点で、俺は有象無象の情報番組よりもこの『DO YOU? サタデー』の情報性を信じようという気になりました。

 

この番組、どんな番組かと言うと(時間帯からも察することができるように)“シルバー世代に向けた王様のブランチ”ということになります。ところが、先のキャスティングを思い出してください。

 

王様のブランチに「コメンテーター:長州力」的なポジションがいたでしょうか? 

 

いませんよね。いるのは「女子大生のミス○○」みたいな品の良い、育ちの良さそうな女性たちばかりです。おそらく死ぬまでの間に、

 

「あいつらが死んだら墓に糞ぶっかけてやる!」

「何コラッ! タココラッ!」

「くらわされたいかお前ら! 女でも容赦しないぞ!」

 

なんて言葉を使う機会はないだろう女性たちばかりです。

 

コメンテーターというポジションですから、当然長州さんは振られた話題に対して、何かをコメントをしなければいけません。勘の良い方ならお気づきでしょう。

 

「滑舌が悪すぎていまいち何を言っているのか理解できない!」

 

そう思うでしょう?! 違うんです! 滑舌云々の話ではなく、“振られた話題に対して、そもそも関心を示さない”というコメンテーターとして、そもそもありえない態度を示すんですね、長州さん。さすが革命戦士、コメンテーターとしても革命的な態度を崩しません。一方で革命戦士・長州力も鎧を脱ぎ捨てればただの64歳のおじちゃんです。「わからないなぁ」「オレ、知らないもん」と関心を示さないのは、ある意味、シルバー世代の正しい姿でもあるわけです。“リアルなover60の世間への反応”を追求する『DO YOU? サタデー』の情報性は、やはり個人的には100点に近いと思うわけです。

 

そもそもMCの隣に、革命戦士を配置するという“クーデターまがいの構図”が素晴らしすぎます。そして、コーナー進行なのに、一切進行ができない次長課長・井上さんのグダグダぶり(井上さんという人間性を考えれば、進行などできるわけがないのに、あえて進行役を務めさせる冒険すぎる試みにあっぱれだ!)。さらには、全国のショッピングモールで家族客などを相手に現金のつかみ取り中継などを行う河本さんの四国八十八箇所を巡るお遍路さんテイスト漂う「みそぎ落とし感」。

 

お台場という近代的な大都会、多くのファミリーが羨望のまなざしで見つめるフジテレビのスタジオ……そういう華やかな世界であえてド田舎のローカル局の情報番組のような“いなたい感”を全開にしてしまう『DO YOU? サタデー』の自爆っぷりに胸が熱くなります。スタジオセットは、地上波の「バイキング」のものを流用、そんな番組がいまいち知名度を得れずに、BSで人知れず土曜の真昼間に放送されているという事実。ここはど真ん中じゃないんだ! お台場の“月の裏側”なんだ!(このトリップ感、偉大なり!)

 

そんな重力度外視の無茶苦茶な番組ですが、チーターことMC水前寺清子の太陽のような明るさがあることで均整が取れていることは、冗談抜きで素晴らしいキャスティングだと思うんです(この人がいなかったら、本当にぐちゃぐちゃになってしまうというくらい、身勝手なキャストが揃っている)。

 

MC水前寺清子

コメンテーター:長州力

コーナー進行:井上聡次長課長

中継レポーター:河本準一次長課長) 

 

もう一度、このキャストを見てください。

 

俺にはこの構図が「天竺へ取経を目指す三蔵法師一行」にしか見えません。ドタバタがありつつ三蔵法師の指揮のもと、取経(=情報)を得るためシニア層が荒波にもまれながら目的地(アクティブシニア)にたどり着く壮大な絵巻物……それが『DO YOU? サタデー』という番組ですよ。何コラ、タココラッ!

 

そしてこの番組、毎回ゲストが一人加わるんですが、毎回ご一行のハチャメチャぶりに振り回されて、結果、ゲストが狂言回しのような役割をすることになります。そのゲストの心情(つっこんだり、あきれたり)が、視聴者である俺たちとシンクロしまくるわけで、いやでも三蔵法師一行が面白く見えてしまう。この二重構造もすごいと、俺は勝手に盛り上がっています。

 

そんなわけで少しでもこの番組に興味を持ってくれたらうれしい限り。マジで王様のブランチなんて見てる場合じゃないぞ! 噛みつきたいのか、噛みつきたくないのか!? 今しかないぞ! 俺たちが本当の情報番組を見るなら今しかないぞ! 

 

長州力は今は土曜8時じゃなくて、土曜お昼を席巻しております。

 

なぜ日本では夜市ができないのか問題

一つ前の記事に挙げたように、ずっと錦里での光景を思い出していた。日本人もああやって楽しんいたはずだよなぁと。過去形にしたのは、今は“楽しむ姿”が期間限定的なような気がするから。例えばそれは、夏祭りやお正月。季節の風物詩と言えば聞こえはいいけど、逆に考えれば、季節の折々以外はあまり見かけないのではないか!?

 

 たしかに、毎夜飲んでいる人は大勢いる。でもね、せいぜい居酒屋で飲むか、ビアガーデンで暑気払い、小洒落たオープンテラスでミソクソの求愛トークや破廉恥トークをしているのが関の山。俺が錦里で見た光景は、生活の一部であり、下駄をはかせた言い方をするなら人生の一端を見た気がするというか。だからこそ、心から「いいなぁ」「なんで俺は一人でこんなところにいんだ?」と思ったわけです。日本で毎夜飲み交わされる酒は、仕事の延長だったり、恋愛の側面だったり、要するに上げ底ブーツを履いているような背伸び感があるわけですよ。いろいろと無理がたたっているし、そもそも無理してんじゃねぇの? と。そういう夜の楽しみ方が大多数になってしまっていると思うわけです。

 

 ところが、錦里で見た中国人たちの姿は身の丈にあっているというか、地に足がついているというか、「今日も楽しかった!」みたいな雰囲気が迸っていった。中国の成長とシンクロしているだけかもしれないけど、楽しみ方に惰性がない。ひとえにそれを助長(演出)しているのは、夜市というシステム、舞台装置の力もあるような気がする。だからこそ、帰り道に「なんで日本は季節の折々でしか屋台(夜市)をしないのか?」とずっと考えていた。

 『チェンデュー ミセス パンダ ホステル』に戻ると、一人の日本人男性とばったり遭遇する。無料で楽しめる博物館について書いた際にちらっと登場したAさんである。休暇を利用して10日ほど上海~南京~成都と旅行をしているとのことで、かつては公務員として役所の観光課で働いていたとのことだった。現在、日本には多くの外国人観光客が訪れ、今後もインバウンドの数は増大すると目されている。早くからこの問題に取り組んでいたというAさんは、過去に3回中国へ出張をし、対中国人の観光対策や傾向を見てきたという。俺からすればプロフェッショナルな方だ。そこで先の疑問を肴にビールを一緒に飲むことになった。

 

 もちろん、その話になるまでにはお互いに「何をされているんですか?」的な段階的な会話を踏まえて酒を飲み交わすにいたったわけだが、俺もAさんも仕事をしながら旅行をするという共通項があったがゆえに深い話ができたと思っている。Aさんは40を少し過ぎた方で、俺より5歳くらい年上の先輩だ。旅先でこういった思量の深い仕事人とあれこれ話せるのは、仕事をしているからこそだと俺は思う。

 『なぜ日本では夜市ができないのか問題』。

 

 それを取り上げる前に、俺の中でそう感じた一つの光景を話しておこうと思う。今年の4月にたまたま靖国神社で花見をする機会があった。恥ずかしながら、東京に30数年暮らしている我が身なれど、靖国神社の花見が「まるでアジアの屋台・夜市のようになっていた」ことを知らなかった。パイプ椅子が数百何千と置かれ、テーブルが設置され、その周りをぐるりとさまざまな屋台が囲っている靖国の花見の光景は、アジアの夜市となんら遜色のないほどの盛り上がりと、生活に土着した“自然体”の姿があった。集客率も抜群で大勢の人で賑わうその光景は、「靖国は無理でも、月に数回週末を利用してどこかの広場で開催するべきなのでは?」と考えてしまう活気渦巻く光景だった。東京に錦里のような計画的夜市がないのなら、屋台をずらりとそろえた夜市的空間を、お祭りのときのように定期的に作れないのか? と。

 

 そんな例を取り上げつつAさんとあーだこーだ話していたわけだが、夜が深まり酒が進むにつれ、やっぱり厳しいよねぇとしみじみしてきてしまった。

 

・食品衛生上、リスクが高い

何か月に一度だからこそ食品衛生に気を遣えるわけであって、毎週ともなれば衛生上の安全面を保たせることは難しくなる。よって広場を管理する自治体なり管理団体が開催に前向きではない。

 

・経済的格差による屋台という営業体系の限界

このご時世に屋台だけで利益を上げていくのは、少なくても日本という国では無理がありすぎる。屋台を展開するだけでそれ相当の稼ぎが見込めるだろうか……いやはや小遣い稼ぎにはなっても生業としてやっていくには、あまりに上の層との格差が広がりかねない。そこまでして屋台をやる人材がどれだけいるだろうか。

 

みかじめ料など政治的リスクがある

要するにヤクザとの問題などなどってことね。ましてや自治体&警察は暴力団撲滅なんて叫んでいるわけで、そういう状況下で定期的に連続して行うのはヘビーすぎるだろうと。

 気が付くとビール瓶が一人3本のペースで空いていた。先進国よろしく、すべてが洗練されていくと、屋台文化はなくなるんだろうなぁという結論に達して、ことの複雑さに唸るばかり。この手の雰囲気を毎夜楽しめるのは、たしかに中興国や後進国が圧倒的に多い。当然アジア諸国は多くなる。成長するとやっぱり何かをそぎ落とす(あきらめる)必要があるわけで、その役割はそれが可能な後人に譲るべきなんだろうな、と。これは都市や街の役割だけじゃなく、人の役割にも言えることだよなぁなんて思いながらゴクリと飲み干すビールは、美味いようでほろ苦い。

 

 確かに、日本にも横浜中華街を筆頭に計画的な繁華街はあるんだけど、錦里のそれは毎夜繰り出せる割安感とお手軽感があるわけで、ちょっとした贅沢感がある横浜中華街のような雰囲気ではないのだ。こういった夜市の雰囲気や体系は、今後もさまざまな国で見かけるだろうから興味深く見ていきたい。何にせよ、こういった話ができる人と旅先、それも中国・四川で出会えたことがうれしかった。旅先で「今まで行った場所で一番良かった場所はどこですか?」なんて話も悪くない。でもね、俺はできることなら先にある話がしたいんです。

 もしかしたら、成長や先進性によって日本人は全身でポーズをとることを忘れてしまったのかもしれない。数日後、別エリアから再びこの宿に戻って来た際に、60代の日本人女性と話をする機会があった。「中国人ってどこでも決めポースとりますよね。微笑ましくて俺は好きですよ」と伝えると、その妙齢の女性は『かつては日本人もそうだったんだけど、そうならなくなったわね。なんでだろうね』と首をかしげていた。たしかに太陽族の時代なんかは、男も女もクソみたいにカッコつけているじゃないか。貴族的、若者だけの特権的な意識だとしても、日本人も相対的にポーズを決めていた時代があったはずだ。今のインスタとは違う(承認欲求の塊と化した決めポーズとは違う)、ポーズをとれる自信や勢いがあったのではないかと思うと、これもまた意外に掘り下げ甲斐のある“どうでもいい問題”なのかもしれない。

 

 

中国人、写真を撮るときに全身でポーズを取りがち説

三国志ファンには御馴染みだろう巴蜀の都・成都。まず街を歩いてみて感じたことは、重慶に比べると俄然バイク文化が根付いているなぁということ。四川省の南は雲南省。その下はベトナムラオスといった東南アジア諸国となる。東南アジアに行ったことがある人はご存知だと思いますが、幹線道路ともなれば原付&バイクが稠密している。その過剰なバイク文化の兆しが、すでに四川省成都では顕著だったりする。タイやベトナムでよく見かける、ジャンパーを正面から着衣して日よけ(雨よけ)にするスタイリッシュなバイカーも珍しくない。

 メインストリートから少し外れると、どこか東南アジア感のある街並みもチラホラ。街を歩くと四川省が(漢民族以外の多民族から形成される)雲南省や東南アジアとの文化的交流を持っていたことがなんとなく分かってくる。また、青海省チベット自治区とも隣接しているため、多様な文化と交じり合い、独自の文化圏を形成していることも段々と見えてくる。特に必見なのは、ココ。

 成都にはチベット人街がある。このクォ―ターではチベット仏教装具や衣服、日用雑貨、食料品などが揃うため、歩いて良し、見て良し、お土産に良し、と何かと面白いので是非とも行ってみてほしいです。街歩きという点では、確実に面白い街だと断言できます。四川省というと、「四川料理=辛い」を筆頭に俺たちの中で“四川然”ともいうべき勝手な一元的イメージができあがっているけど、実はものすごくダイバーな街並みや生活が散見している。それだけに成都から少し足を伸ばすだけで、多層な景色や街にアクセスすることも可能となるわけなんだけど、それは次回に。

 そもそも四川の人々は独立心が強く、独自の思想があるんだとか。四川語というこの地で話される独自の言語を持つあたりからも想像できるが(もちろん公用語もばっちり通じるけど)、劉備玄徳や鄧小平、杜甫など四川省にゆかりのある人物を見るに、「反骨精神があって、中央なにするものぞ!」的気質を生み出す何かがあるんだろう。また、忍耐強いことも特徴で(山椒&花椒をたっぷり入れた四川料理を普通に平らげるあたりも忍耐強くないとムリでしょ)、四川大地震を乗り越えることができたのも、この地の精神性によるところも大きいという。

 さて。俺がやってきたのは「錦里(きんり)」と呼ばれる成都屈指の繁華街。2004年にオープンした錦里は、明清代の中国の建物を再現させた計画的繁華街で、毎夜多くの現地人と観光客でにぎわっている。飲食店をはじめ、お土産店、劇場、屋台で食べる中華の一品料理が集う小吃(シャオチー)が数多く揃う“食と文化の(プチ)テーマパーク”みたいなもんです。関東でいうところの「浅草の浅草寺仲見世通り界隈」、「鎌倉の鶴岡八幡宮小町通り界隈」みたいなものだと解釈してくれればオッケーです。錦里の隣には、諸葛亮孔明の祠堂「武侯祠博物館」があり、三国志(とりわけ蜀)資料がどっさりあったりする歴史的スポットでもあるため、「ナンジャタウン」や「東武ワールドスクウェア」などのテーマパークとは趣を異にするとだけは補足しておきます。

 池にかけられた橋を目指す群衆の写真のはずが、蜘蛛の糸を目指す人民みたいになってしまうほど、人が多い。圧倒的密集。

 お酒を飲めるラウンジやギターの弾き語りをする水タバコ店などもあるので、若者もぎょうさん来ます。ちなみに奏でている音楽は、ことごとくチャゲアスでいうところの「ひとり咲き」「万里の河」系。生演奏の郷愁漂うフォークソングが耳に響く繁華街というのは、異邦人である俺ですら懐かしい気分になりました。台湾をはじめ中華圏でチャゲアス人気が凄かったのも納得というか、このご時世に街一番の繁華街でフォークソングが流れているあたりは、中華的良心を感じずにはいられなかったな。作られた繁華街とは言え、ズンチャカズンチャカ、四つうちのEDMとかポップソングが流れていたら、「何でもありか!」と興ざめしちゃうからね。飾りであっても情緒はあったほうがいい。

 成都で出会った中国人曰く「この街は三国志とパンダに頼り過ぎている」とのこと。それは言ってやるな。

 これだけ群衆がひしめき合っているけど、マナーはとても良かったです。背中を押されたり、列を守らなかったり、少なくとも俺は遭遇しなかった。皆が皆、眠る前のひと時を、生活を、楽しむ姿があるわけです。

 何気ないオモチャや他愛もないものに対しても、過剰なほどリアクションを取り、写真に自らが収まるときは体全身でポーズをとる。なんでこんな変哲もない場所で? そういう場所でも楽しそうに全身でポーズをとる。結果、そこには家族や恋人たちが、純粋に生活を楽しんでいる姿があると気が付かされる。中国人の素敵な行動だと俺は思う。初々しさというか、感情を身体で表現できることはうらやましい。イケている奴らのみポーズを決めがちな欧米人と違って、中国人はとんでもないブサイクとブスでさえ楽しそうにポーズを決めている。俺はこの光景にまた一つの中華的全体主義とも平等主義とも受け取れる“ザ・中国”を見た。心の底から微笑ましく、いいなぁと思えた。

 そして、錦里には「俺のように決して一人で来てはいけない」とも思った。さもなければ生きたしかばねになる。こういう場所は、誰かと来るからいいんだ。一人で訪れたところで、「行きつく先には塩の湖しかない」。だから、俺は宿に引き返すことにした。

 

 

中国旅行で快適にスイスイ進むちょっとしたコツ

成都東駅から事前に宿泊した宿の近くまではメトロが走っている。中国では、北京・香港・天津・上海・広州・武漢・深圳・重慶・南京・成都西安など多くの都市で地下鉄や都市鉄道(モノレール)が整備されている。

 改札を出ると、高速鉄道を降車したばかりの多くの利用者が、限られた台数の地下鉄自動販売機の前に長蛇の列を成していた。だけどね、重慶の街を散策していたときから気になっていたことがあるんですよ。地下鉄の乗り口でも有人窓口でも、中国人は同じ流れに汲み入る傾向があるのでは? ということ。例えば、一番並んでいる有人窓口に並ぶ傾向がある、とか、エスカレーターがある階段とない階段だったら、9割の人がある方の階段を利用する。結果、その付近の乗車口は混む、とか……そんなようなイメージがすでにあったのだ。

 チケット販売機の長蛇の列の後は、荷物検査に鬼のような列が出来上がってしまっている。こんなに立派なターミナルなのに、地下鉄の販売機が1エリアにしかないなんてありえない。検査をする改札口だって、反対側にあってもよかろうに。そんなわけで1分ほど歩いて反対サイドに回ってみると。

 このザマである。お分かりいただけただろうか? 待ち時間ゼロである。これはね、一つの中国人の特徴だと思う。良く言えば素直。悪く言えば、右に倣え(物分かりが悪い)。こういう国民性だと分かると、なんだか視界が拓けてくるというか。中国人の特徴(と言っても、重慶成都方面だけかもしれないけど)は折を見て、ちょいちょい感じたことを綴っていきたい。ついでに、マナーというか、日本で目にする中国人観光客の声のデカさに辟易する人も多いと思うので、そのことにも触れておく。

 はっきり言って、本国における声のデカさは日本で耳にする比ではない。 電車走行時のガード下が90100デシベルと言われているが、地下鉄の車両内にて携帯電話で通話している40代以上のおっさんたちの声量も90くらいあるんじゃないかと思えるほどけたたましい。個人的には、ゴールデンハーベスト製作の映画のワンシーンを生で見ているような感じなのでポイントが高いんだが、結論だけ言ってしまえばやっぱり「うるさい」。圧倒的に「うるさい」。もちろんそれは中国人も分かっている。だからなのか、あちこちから聞こえてくる大声量に自身の会話が消されないように、イヤホンをしてスマホに話しかけている人も圧倒的に多い。共存の形がどこまでも個人主義的というのも中国特有かもしれない。気の遣い方が逆ベクトルに飛んでいってしまうあたりは、ホントに興味が尽きないわけで、オレは妙な親しみを感じた。合コンで女性陣を楽しませようと空回りしている奴を見るとほっとけなくなる感覚に近い。

 重慶同様に利用料金の安いメトロに乗って、本日の宿『チェンデュー ミセス パンダ ホステル』に到着。HPを見ても分かるように、英語はもちろん日本語を話すスタッフもいる。成都には、もう一つ(そちらの方がメジャーなんだけどね)日本語対応可能の宿があるが、オレは日本人が数多く集うような宿は苦手なのでそちらはスルーした。そんなに長くない旅程のなかで、できれば現地の人間と話をしたいこと、異なる文化を持つ外国人と接点を持ちたいこと(ミセスパンダは欧米人も多数来る)などなど。旅先では“可能な限り働きながら旅行をしている者として過ごしたい、考えたい”と思っている。世界一周系や長期旅行者は、貴重な情報を得るために日本人が集う場所で情報交換をするためにステイすることもあるだろうが、そうじゃない人たちもいるからね。

 『チェンデュー ミセス パンダ ホステル』をチョイスした判断は間違いなかった。最高に素晴らしい宿だった。おそらく来年もまた成都を訪問することになると思うが、もう一度ここに泊まります。ここで出会った人々も素晴らしかった(これについては後日登場します)。宿の設備などに関する詳細な感想などは、Booking.comなどの予約サイトのレビューを参照してほしい。行けばわかるさバカヤロー! である。シングルの部屋はないため、ダブル(トイレシャワー室内なし/冷房完備)1138元(約2300円 ※デポジット別途100元)の部屋に宿泊。ドミトリーは疲れが取れないので選択外。

 さてさてここ成都から次の目的地は、どうしたもんかなぁと悩んでいた。死ぬまでに見ておきたい系でもたびたび登場するラルンガルゴンパ(東チベット)に行くか、丹巴&四姑娘山に行くべきか、成都の現地人の意見を聞いてから行こうと決めていた。宿には、アニメ好きだという日本語が少し話せる20代前半と思わしき男性スタッフがいたので、とりあえず彼に相談したところ、「東チベットは現在、外国人立ち入り禁止状態」「四姑娘山は雨期のためバスが休業中」という絶望的なレスポンスをいただいてしまった。

 正直なところ、ラルンガルゴンパは有名になりすぎた結果、誰もが行くようになってしまったため、「ちょっとそういうのはなぁ」と天邪鬼に考えていたところもあり、気持ちとしては四姑娘山に傾いていた。ところが、そのバスすらも運行休止となると八方塞がり。「明日の朝にマネージャーが来ます。マネージャーならもっと確かな情報を知っているし、四川全体&周辺エリアに詳しいです」という彼の言葉に一縷の望みを託す他ない。「別プランも考えなきゃいけないな」などと思いながら、宿を後にして成都の街を彷徨うことにした。

 

 

中国(重慶)で噂の高速鉄道に乗ってみた

 出発時刻の14時に余裕を持って到着するために、重慶北駅へは13時少し前に向かった。宿のオーナーには、成都から戻って来た際に「再びお世話になります」と伝え、気持ちよくサヨナラ。懇切丁寧で人柄も良く、英語が堪能なので本当にありがたい存在だった。重慶ニューロマンサーな夜を体験する際は、ぜひvol2で紹介したこちらの宿をチェックしてみてほしい。

 別れ際、「高速鉄道へのアクセスなら重慶北駅の次の龙头寺駅がいいよ」とアドバイスを受けるも、意味が分からず受け流す。だって、昨日チケットを買って入場ゲートも確認しているんすよ? なんでわざわざ隣駅から行く必要があるんだろう……と、少し気になるもレッツゴー。サクサクと重慶北駅に到着し、ゲートでチケットを見せると、「ここじゃない」的な雰囲気とリアクションを受ける。ネット環境下ではなかったため言葉が分からないので、少し食い下がるとチケットの右上を指される。

「北広場……?」(というか、この北広場って成都東に冠している言葉じゃないのかよ)。

 上写真の右部分にうっすらと見えると思うんだけど、「ここは南広場」である、と。何となく事態を把握したオレは、その北広場とやらに行かなくてはいけないらしいわけだが、どう行きゃいいのかサッパリで。とりあえず、広場にいる英語が分かりそうな若い人に片っ端から声をかけるも、ホント通じない。まったく通じていない。『イッテQ』の出川さんの“はじめてのおつかい”のようないびつな存在と化している。正直、これには焦った。北広場に行けばいいのは分かったけど、どれくらい距離があるか分からないし、そもそも歩いて行けるのか……そんなときに思い出したのが、冒頭の「高速鉄道へのアクセスなら重慶北駅の次の龙头寺駅がいいよ」という助言。そういうことね!

 急いでメトロに乗り込み、龙头寺駅を目指す。下車すると、出口前の広場には「北広場」という看板を持って営業をしているバイクタクシーの面々。ホッと一息。距離が分からないので、10元(約170円)を支払い、颯爽とノーヘルで駆け抜ける。この旅、初にして最後のノーヘル体験だったが、海外で体感するノーヘルバイクの心地よさはいつだって最高。出発の間際、ちらっと「南広場3km」という看板が見えて、馬鹿デカいにもほどがあるとゾッとする。探す&歩いていたら間に合ってなかったよ! 

 というわけで、こちらが北広場。龙头寺駅からはバイクで12分(10元は高い)。歩いて10分ほどなので、バイクに乗らなくても行けるはず。

 重慶のターミナルを利用する旅行者は、重慶は“西口に東武百貨店があって、東口西武百貨店がある池袋のようなややこしさがある”ということを肝に銘じておいた方がいい。先述したように、重慶駅と重慶北駅があり、重慶北駅には南広場と北広場がある。発着する高速鉄道によって(主に行先の方面によって)、南と北で区別されるため、必ず重慶から高速鉄道を利用する場合は南広場か北広場かを確認しておこうな! 危うくオレみたいに生きた屍になるぞ!

 ターミナルの中はまるで空港だ。乗車する鉄道のゲートが電光掲示板に明記されているためそのゲートに向かい、車両によって(例えば18号車は10B11Bゲート/916号車は10A11Aゲートというように)さらにゲートが細分化されている。

 発券されたチケットは先に紹介したオレのチケットのように「紅券」と呼ばれるものと、青いチケットがあるが、「大して差はない」らしい。「こいつはちょっと共産色が強いかな!? だから、アナタは赤券ね!」くらいの差だと思って、笑って突っ込んでいくように(その方が楽しい)。

 内観は完全に新幹線と遜色なし。座席にはコンセント差し込み口もある。揺れなんかまったく気にならないほど乗り心地も快適。車内販売の女性に全くやる気がないことを除けば、日本にいるかのよう。やる気がないこともスゴいんだが、人の声が届くよりも先に、車両を駆け抜ける売り子の颯爽感たるや。「競歩か何かの強化選手なのかな?」と思ってしまうほど速い。

 売り子がいなくなってしまうスピードも速いが、高速鉄道の速度も速い。平地では300キロ近く速度が上がるため、バスで45時間かかる重慶成都間を、約1時間40分ほどで到着してしまう。圧倒的にバスよりも高速鉄道の方が◎。値段の安さは前述した通り。これは楽チンだ!

 というわけで16時前には成都東駅に到着。春秋航空は、かつては成都便が離発着していたのだが、現在は就航していない。四川への玄関口は重慶になってしまうが、噂の高速鉄道に乗って成都を訪ねるというのも面白い、と十分に感じた。快適で早く、そして安い。重慶の大都会は、vol3よろしく見ておいて損のない世界が広がっている。重慶成都。これは思いのほか“アリ”です。

 

 

中国には無料で楽しめる博物館が多い(暑いときや雨のときは◎)

 とにかく蒸し暑い。少し歩くだけで、だらだらと大量の汗が噴き出てくる。宿のマネージャーから、「地元民が足繁く通う、このエリア一番の店があるから食べてきなよ」と渡された手書きの地図を握りしめながら、重慶の朝を歩く。「車のクラクションが目覚ましのように鳴り響く。この街はアラームが鳴りっぱなしだ。頭にクるぜ。Bloody Hell……」とか、ハードでボイルドな言葉の一つや二つでも言ってみたかったけど、実際のところは「マジで蒸し暑いんだけど、なにこれ、勘弁してよ、暑すぎるんですけど」と弱音しか吐いていない。

 牛肉面がオススメだというので、「微辣(ウィ ラー=少し辛め)」と一言添えて注文した。11元(約180円)。面は、米、小麦、刀削などから選ぶことができる。牛肉がすこぶる柔らかく、スープの辛みと香味の清涼感のマッチングが美味い。面も安っぽさがなく、東京で食べるなら800円は取られるだろう品質だ。スープは例え微辣でも完飲することはできない。地元民ですら、誰一人スープは飲み干していない。料理に関する詳しい記述は成都編に譲るが、ここ重慶四川料理の流れを汲むため、基本的に辛い料理を得意とする。特に、「火鍋」は“重慶火鍋”という独立した代名詞があるほどご当地フードとして有名らしい。入店前以上に大粒の汗をかきながら店を後にして、あっという間に500mlの水を飲み干してしまった。それほど蒸し暑く、辛い世界が襲いかかってくる。

 中国の水価格は、自国のものなら23元。その国の物価指数は、ミネラルウォーターにこそ顕著に表れると常々思う。ビッグマック指数以上に、ミネラルウォーター指数こそあらゆる物差しになると思うのだが。

 高速鉄道乗車までしばし時間があるので、重慶の街をうろつく。昨夜のSF感を目の当たりにすると、この街の昼間はいささか面白みに欠ける。ただただ、うだるような暑さが襲い掛かるので、屋内のスペースに逃げ込みたい。こういうときは、博物館や美術館に救いの手を求めるに限る。そんなゲージツ的な気持ちを抱きつつ、やってきました重慶博物館。

 いちいちスケールがでかい。モスクワの街を訪れたときも、そのスケールのデカさを前にして、街全体から睥睨された気分になったが、ここ中国も似たような睨みを感じずにはいられない。

 このときは、中国の陶器や茶器にまつわる特別展示が開かれており、涼みに行ったわりには、とても有意義な時間を過ごせた。しかも、驚くなかれ。この重慶博物館の8割は無料開放されており、上記陶器の特別展示すら無料で楽しむことができるのだ。これは重慶に限った話ではなく、上海や南京など中国各地の博物館の多くは無料で入館できるところが多いという。いくつかの理由があるのだが、人民の文化レベルの底上げをするために無料にしていること、さらには、博物館では自国の素晴らしさを謳うような展示品が数多く陳列されているため、「中国の文化スゲー! 中国は偉大だ」と思わせるプロパガンダ的な意味合いもあるのだとか。抗日的な展示物を掲げる博物館も当然のごとく無料なので、博物館や美術館に政治の片足がネットリと絡まっていることも付記しておく。後日、成都で知り合ったAさんは、南京の博物館を訪れた際に、「社会科見学として子どもたちに日本軍の行いを見学させている光景に出会った」と言っていた。いろいろ言いたいことはあるわけだが、オレやAさんの意見は、「とやかく言う前に、自分の目で直接見ること、身をもって触れることこそが大事だ」という結論に達した。

 中国のパブリックな場所には、必ず公安がいる。地下鉄や鉄道に乗る際は、必ず荷物検査がある。形式だけの簡単な検査で、絶対に精密ではないと思わしき機械に手荷物を通すだけだ。地下鉄の車内では、常に警察官が見回り、壊れた玩具のように車両を何往復もしている。そこに公安がいる、ことが重要であり、それ自体に意味はないのだろう。落し蓋のような存在であり、市民の煮くずれを防ぎ、権威の味を染みこませるために必要な道具、のようなもの。こういった光景は日本ではお目にかかれないため、外様であるオレの目からは非常に興味深く映った。次回は、いよいよ高速鉄道に乗る。