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サクッと行ける海外旅行についてつらつらと書いていきます

タイトルまんま。誰でも旅行に行けるんです、ということをちょっとだけ発信していきたいわけです。たまにテレビのことなど、非旅行のことも。

中国・重慶にはSFの空が広がっている

中国におけるネット環境は独特だ。中国政府によるネット検閲システム「金盾(グレートファイアウォール)」により、GoogleFacebookTwitterinstagramなどの欧米系サービスがことごとく使用できない環境下に置かれてしまう。無料Wi-Fiはいたるところに飛んでおり、空港、駅構内など公的機関はもちろんのこと、宿や飲食店ですらほぼほぼ完備している状況となっている。ところが、グーグル先生で調べることや翻訳することができない、写真を投稿するアプリがほぼ使えない(そのため中国人はWeChatを駆使して楽しんでいる)という、“精力は有り余っているけどパートナーがいません状態”に陥り「ぐぬぬぬ」と歯ぎしり必至の状況になってしまうのだ。

 

 そんな状況をスッキリさせるべく、中国に渡航する多くの人が導入しているサービスが「セカイVPN」をはじめとしたVPNサービスである。使い方や詳細、インストール方法などはリンク先を参照してほしいのだが、とりわけOPEN VPNL2TPでは心もとない)を搭載することで、上記したストレスは解消される。思う存分、調べることができ、メールのチェックもできるようになる。同時に皮肉な話だが、いかに自分の生活がGmailクラウドサービスありきで暮らしているかということに気が付かされてしまうわけでもあるが。

 

 いくら英語が通じないと言っても翻訳ソフトさえあればどうととでもなってしまうのが、いまどきの旅行の一つのあり方だ。「直接コミュニケーションして、なんとか伝えるのが醍醐味。機械に頼るなんて邪道だ」と息巻く人もいそうだが、使えるものは何でも使ったほうがいい。なぜなら短期間で旅行をする我々は、有限の時間の中を旅している。10分かかる意思表示が1分で済むなら、他のことに9分使えることになる。それにグーグル先生と言えども全知全能の神ではないため、翻訳を間違うこともある。その小さな間違いが、現地民からすれば「意味わかんねぇwww」とバカ受けだったりする。そこから生まれるコミュニケーションもある。中国で暮らす人々、特にサービス業に携わる人々は翻訳アプリを入れていることが多いので、もし自身がWi-Fi環境下になくても先方は起動できるため、迷惑をかけない程度(自分以下が長蛇の列になっているときなどは控えよう)に相手の翻訳アプリに頼ることもアリだ。もちろん、最低限の現地語は覚えておくこと。現地で当事者たちの言葉を使えば、その分だけ距離は近くなる。小泉進次郎は地方の講演会に赴くと、必ず地方の方言を交えて話や挨拶などをするという。人の心を掴むということは、いつだって小さなことから始まるのだ。

 さて、無事に高速鉄道のチケットを購入したオレは、せっかくだから重慶の中心地・楡中区を散策することにした。

 「重慶には何もない」と、智恵子のようなことを言う中国人が多い。重慶を訪問した観光客からもそういう声が聞こえてくる。もともと重慶は、蒋介石の臨時首都であり、毛沢東と会談した場所という歴史的背景を持つ政治色・文化色の強い場所だ。さらには、先述した二つの川の合流地点であることから戦略的に重要な海上水路の要衝となる地でもある。要するに都会になるべくしてなるような場所だ。ところが、だ。重慶の都会感は今まで体感したことのない超然とした世界観に包まれている。都会へ行くと、どこかで見たことのある既視感に一度や二度は遭遇すると思う。「ああ、大通りがクロスしていて、上に道路が走っている構図は六本木に似ているな」とかである。クアラルンプールのブキビンタンなんかは、まるで六本木のアマンド前だったりする。だが、重慶にその既視感はない。あまりに規格が大きすぎて、比べようがないのだ。

 

 中心地の繁華街に「大都会広場」というふざけた名前の広場がある。ふざけた名前のはずなのに、「……大都会だ」と誰もが納得する光景が広がっている。天にそばだつように、高層ビル群が東西南北を埋め尽くす。全てが高層ゆえに目印となるものが見つけられない。方位が狂わされるほどの大都会だ。この眩さは、銀座なんか足元にも及ばない。たびたびニュースで中国人のマナー問題が取りざたされるが、そりゃ銀座でも平気で唾を吐くし、ごみも捨てるだろう。彼らははるかに凌駕する都会で、当たり前のように中国的慣例を行っているわけだから。海で放尿する輩が、「海は良いけどプールはNG」と唱えたとする。しかし、海でもプールでも放尿する輩は「何が違うの?」と聞く耳を持たない。道徳だけの問題ではないんだ、おそらくこれは。

 

 ビル群の稜線を前に遭難しかけたオレは、レジ台を前に腰かけてケータイをいじっている青年が、やる気というものを一切放出していない食堂にふらふらっと入ってしまった。大都会の熱量に加え、夜中でも湿度が80%を超える熱帯夜に思考は止まり、とにかく「座りたい」という一心のみで店を選んでしまった。

 テーブルに置かれたメニューから、とりあえず目に飛び込んできた馴染みのない料理を頼んでみた。品名に「肉」と書いてあったので、外れたとしても「ギリギリセーフ」のライン上にはあるだろう。肉が不味ければ、諦めもつく。喉が渇いていたのでコーラ(3元)を追加する。しばらくすると、煮込まれた豆腐と骨付き牛肉にパクチーがまぶしてある馴染みのない料理と、セットと思わしきスープとご飯が運ばれてきた。コーラを合わせても19元(約320円)だった。米がもう少し美味ければ文句ナシというくらい美味かった。大都会に圧倒された地方出身者が古びた定食屋で、ひと時、「飯がうめぇ」と安らぎを感じる、そんな“上京プレー”まで味わえるとはうれしい誤算だった。

 

 ふらふらっと入った安食堂でこのクオリティ。でも、一歩外に出ると320円の料理を食ってそうな人など、どこにも居なさそうな都会が広がっている。

 何かに似ているな、と思ったらウィリアム・ギブスンの名作『ニューロマンサー』の世界観だった。ウォーターフロント計画によって変貌した当時の千葉県・幕張は、バブルに沸き立つ日本の繁栄の頂の一つに違いない。高層ビルが林立し、当時の超一流企業がこぞって海浜幕張に支店を置く。ところが国道14号以北はあるがままのとぼけた田舎風景が広がっている。背徳と未来の世界を駆け抜ける『ニューロマンサー』のチバシティは、日本に造詣の深いギブスンがその時の日本の社会情勢からインスパイアされた舞台だったが、重慶にはチバシティ以上にサイバーパンクな世界が構築されている。都市の先進性と、そこに暮らす庶民の生活が一切シンクロしていない感覚は、脳が麻痺してくる。天を穿つように、競い合ってそびえるビル群の“砂上感”。どうしてそんなに高くある必要がある? 荒廃と隣り合わせの危うさを、ひしひしと、鈍い裏路地を歩くだけで感じることができるこのSF感は、マジで最高だ。

 

 ニューロマンサーの冒頭に、「港の空の色は、空きチャンネルに合わせたTVの色だった」という一文がある。ずっとどんな色なのか気になっていたのだが、重慶の空の色こそ、その色に限りなく近いのではないかと思えてくる。「重慶に何もない」ということは絶対にない。少なくても、重慶には重慶にしかない空がある。