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サクッと行ける海外旅行についてつらつらと書いていきます

タイトルまんま。誰でも旅行に行けるんです、ということをちょっとだけ発信していきたいわけです。たまにテレビのことなど、非旅行のことも。

中国人、写真を撮るときに全身でポーズを取りがち説

三国志ファンには御馴染みだろう巴蜀の都・成都。まず街を歩いてみて感じたことは、重慶に比べると俄然バイク文化が根付いているなぁということ。四川省の南は雲南省。その下はベトナムラオスといった東南アジア諸国となる。東南アジアに行ったことがある人はご存知だと思いますが、幹線道路ともなれば原付&バイクが稠密している。その過剰なバイク文化の兆しが、すでに四川省成都では顕著だったりする。タイやベトナムでよく見かける、ジャンパーを正面から着衣して日よけ(雨よけ)にするスタイリッシュなバイカーも珍しくない。

 メインストリートから少し外れると、どこか東南アジア感のある街並みもチラホラ。街を歩くと四川省が(漢民族以外の多民族から形成される)雲南省や東南アジアとの文化的交流を持っていたことがなんとなく分かってくる。また、青海省チベット自治区とも隣接しているため、多様な文化と交じり合い、独自の文化圏を形成していることも段々と見えてくる。特に必見なのは、ココ。

 成都にはチベット人街がある。このクォ―ターではチベット仏教装具や衣服、日用雑貨、食料品などが揃うため、歩いて良し、見て良し、お土産に良し、と何かと面白いので是非とも行ってみてほしいです。街歩きという点では、確実に面白い街だと断言できます。四川省というと、「四川料理=辛い」を筆頭に俺たちの中で“四川然”ともいうべき勝手な一元的イメージができあがっているけど、実はものすごくダイバーな街並みや生活が散見している。それだけに成都から少し足を伸ばすだけで、多層な景色や街にアクセスすることも可能となるわけなんだけど、それは次回に。

 そもそも四川の人々は独立心が強く、独自の思想があるんだとか。四川語というこの地で話される独自の言語を持つあたりからも想像できるが(もちろん公用語もばっちり通じるけど)、劉備玄徳や鄧小平、杜甫など四川省にゆかりのある人物を見るに、「反骨精神があって、中央なにするものぞ!」的気質を生み出す何かがあるんだろう。また、忍耐強いことも特徴で(山椒&花椒をたっぷり入れた四川料理を普通に平らげるあたりも忍耐強くないとムリでしょ)、四川大地震を乗り越えることができたのも、この地の精神性によるところも大きいという。

 さて。俺がやってきたのは「錦里(きんり)」と呼ばれる成都屈指の繁華街。2004年にオープンした錦里は、明清代の中国の建物を再現させた計画的繁華街で、毎夜多くの現地人と観光客でにぎわっている。飲食店をはじめ、お土産店、劇場、屋台で食べる中華の一品料理が集う小吃(シャオチー)が数多く揃う“食と文化の(プチ)テーマパーク”みたいなもんです。関東でいうところの「浅草の浅草寺仲見世通り界隈」、「鎌倉の鶴岡八幡宮小町通り界隈」みたいなものだと解釈してくれればオッケーです。錦里の隣には、諸葛亮孔明の祠堂「武侯祠博物館」があり、三国志(とりわけ蜀)資料がどっさりあったりする歴史的スポットでもあるため、「ナンジャタウン」や「東武ワールドスクウェア」などのテーマパークとは趣を異にするとだけは補足しておきます。

 池にかけられた橋を目指す群衆の写真のはずが、蜘蛛の糸を目指す人民みたいになってしまうほど、人が多い。圧倒的密集。

 お酒を飲めるラウンジやギターの弾き語りをする水タバコ店などもあるので、若者もぎょうさん来ます。ちなみに奏でている音楽は、ことごとくチャゲアスでいうところの「ひとり咲き」「万里の河」系。生演奏の郷愁漂うフォークソングが耳に響く繁華街というのは、異邦人である俺ですら懐かしい気分になりました。台湾をはじめ中華圏でチャゲアス人気が凄かったのも納得というか、このご時世に街一番の繁華街でフォークソングが流れているあたりは、中華的良心を感じずにはいられなかったな。作られた繁華街とは言え、ズンチャカズンチャカ、四つうちのEDMとかポップソングが流れていたら、「何でもありか!」と興ざめしちゃうからね。飾りであっても情緒はあったほうがいい。

 成都で出会った中国人曰く「この街は三国志とパンダに頼り過ぎている」とのこと。それは言ってやるな。

 これだけ群衆がひしめき合っているけど、マナーはとても良かったです。背中を押されたり、列を守らなかったり、少なくとも俺は遭遇しなかった。皆が皆、眠る前のひと時を、生活を、楽しむ姿があるわけです。

 何気ないオモチャや他愛もないものに対しても、過剰なほどリアクションを取り、写真に自らが収まるときは体全身でポーズをとる。なんでこんな変哲もない場所で? そういう場所でも楽しそうに全身でポーズをとる。結果、そこには家族や恋人たちが、純粋に生活を楽しんでいる姿があると気が付かされる。中国人の素敵な行動だと俺は思う。初々しさというか、感情を身体で表現できることはうらやましい。イケている奴らのみポーズを決めがちな欧米人と違って、中国人はとんでもないブサイクとブスでさえ楽しそうにポーズを決めている。俺はこの光景にまた一つの中華的全体主義とも平等主義とも受け取れる“ザ・中国”を見た。心の底から微笑ましく、いいなぁと思えた。

 そして、錦里には「俺のように決して一人で来てはいけない」とも思った。さもなければ生きたしかばねになる。こういう場所は、誰かと来るからいいんだ。一人で訪れたところで、「行きつく先には塩の湖しかない」。だから、俺は宿に引き返すことにした。